誰も知りたがらない、大人のオッサンの秘密

 僕が、国の制度によって若年者とカテゴライズされていた頃のことです。朝起きると、海が僕を呼ぶ声が聞こえる日。僕はその声に素直に従い海に会いに行く人でした。勤め先には「親が倒れた」とか言っていましたが、たぶんバレバレだったと思います。その職場の上司や同僚からみれば、はなはだ迷惑なヤツだったはずです。もっとも、その職場の前の職場は、一週間ほどでブッチしました。何となく嫌だったので。

 

 あくまでも僕個人の意見ですが、若年者には、ときに逃げたり、立ち止まったり、自分の殻に閉じこもったり、やっちゃったことを帳消しにしても構わない特権があるべきです。少なくとも、その特権を堂々と行使していられる世の中になるべきだと思います。なぜなら、現在の日本の若い人のほとんどは、今まで散々甘やかされて育てられてきました。だから、精神的にも社会的にも自立するのに相当な猶予期間が必要だと思うのです。昔より景気が悪かろうが、将来の展望が見えにくかろうが、ゆとりだろうが何だろうが、そんなことは一切関係ありません。

 

 こんな僕ではありましたが、自分なりに「このままではいけない」という気持ちはありました。だから、この自分の状況を何とかしようと、色々なことにチャレンジしたり、試してみたりしていました。何かやる気のない自分でも最愛の彼女ができればもっと張り合いがでるのではないかと思い、女の子に告ったこともあります。でも、試したことの多くは無駄打ちに終わり、チャレンジしたことのほとんどは挫折に変わっていきました。当然、告った彼女には「友達で」と言われました。当時の僕は、まるで溺れている人が何とか助かりたい一心でしゃにむにもがいているだけのようなイメージを自分自身に見ていました。

 

 それでも仕事やプライベートにもがいているうちに、段々と何となく上手くもがけるようになっていきました。女の子にはフラれるごとに肩の力が抜けていったのか、気負いやカッコつけがアホらしくなっていきました。するとなぜかその頃から、自然に彼女ができるようになりました。今思えば自意識過剰だったのかもしれません。それから四半世紀。今では、仕事も家庭も、もがいていること自体が楽しくて仕方ありません。たまに押し寄せるビックウェーブ(人生が変わるような大きな出来事)ですら快感を覚えつつ笑顔でもがいています。

 

 だから、乗り越えたいものがある人は、どんなに些細なことでもいいから、今自分が出来ることから手を付けていけばいいと思うのです。大切なことは思い悩むことではなく、一歩前に踏み出すこと。様々な角度から、徐々にでもいいので、やれることを一つひとつやっていけばいいのです。一歩踏み出してしまえば、思い悩んでいた頃には想像もつかなかったことが、向こうからやってきます。そこでもまた、その問題を解決すべくまた一歩前に出ればいいのです。他の誰かと比べて時間がかかろうが、誰かは自分よりもずっと先にいようが気にすることはありません。日頃から苦手意識を持っていた仕事や人間すら、そのうちたやすく相対することができる自分になれたことに気付く日は必ずやって来ます。

 

 誰が何と言おうと、「大人」は楽しいです。学生の頃、僕は人生の中で今が最高!と信じていました。でも、大人の楽しさはそんなもんとは次元が違います。しかも、歳をとれば取る程楽しくなってきます。結婚して家庭を持つ大人(特に男性)から「結婚は地獄だ」とか、「若い人は自由でいいなー」って言われたことありませんか? その言葉をそのまま鵜呑みにしてはいけません。あれって大人の事情的に複雑ではありますが、簡単に言うと謙虚・謙遜のたぐいなのです。だから、大人になるために若い人たちも頑張ってね!というオッサンのお話しでした。