二十数年間スタジオのスタッフを見てきました。いつの世代にも、「自分にも他人にも厳しい人」と「誰にでも優しい人」がいました。いつの世代でも、「自分にも他人にも厳しい人」は、人にずけずけと物言うので、後輩達からは避けられがちです。逆に「誰にでも優しい人」は、不安な後輩をありのまま受け入れてくれるので、後輩たちの人気者です。よく『○○が選ぶ、理想の上司』のアンケート記事を見ます。それと同じように、もしスタジオでアンケートを取っていたら、間違いなく「誰にでも優しい人」が断トツで“理想”になることは間違いありません。
ず~っと前から繰り返えされるその光景ですが、僕は内心苦々しく見ています。なぜなら、数年後にカメラマンとして活躍している人は、「自分に優しかった人」よりも「自分に厳しかった人」のほうが断然に多いからなのです。
僕は別に、「嫌な人」のほうがカメラマンになれると言いたいのではありません。「自分にも他人にも厳しい人」は、現状の自分では目指すレベルのフォトグラファーになれないことをわかっています。だから、自分に厳しくするのです。そして、同僚も後輩も、先輩ですら、フォトグラファーを目指す者なら、そのくらいの意識の高さを持って当然だと考えています。その結果、他人からみて厳しい人だと思われるのです。
「誰にでも優しい人」は、自分に厳しくできません。まずはそれが何より先にあります。だから、人にも今より高いものを求めず、ありのままを受け入れてあげられるのです。「ありのままの自分」って、広告のキャッチコピーに使われがちな耳触りのいい言葉です。でも、残念ながらこの業界は「ありのままの自分」でフォトグラファーになれちゃうほどメルヘンチックではありません。もしそうなら、一眼レフを持っている人はみんなフォトグラファーになれちゃっているはずですから。
もし、このブログを読まれている方の中に、これから遥か高みを目指して「アシスタント」や「見習い」からスタートする予定の方がいたら、覚えておいて頂きたいです。もし、その職場やチームに、自分に対し厳しく言ってくる人と優しい人がいたら、厳しい人にとことんくっついて、その人に一目置かれるようになることを数ある目標の一つにすることがおススメです。
マザーテレサの有名な言葉に、『愛の反対。それは、憎しみではなく無関心です。』というものがあるそうです。このマザーテレサの言葉になぞらえれば、『あなたに厳しく接する人。それは憎しみではなく愛あるがゆえ。』なのです。