先日お会いした、広告系のフォトグラファーが言っていました。「グラフィック(写真撮影/静止画)だけの仕事は、もうずいぶんやってないなー。最近は、ほとんど動画(の仕事)ばっかりですね。グラフィック(の仕事)は、あっても動画がらみって感じですかねー。」
それで思い出したのですが、以前ムービーのカメラマンさんが言っていました。「最近、スチールの連中(写真のカメラマン)が、結構入ってきててね。オレたちあぶれて大変だよ~。」
どうやら、写真からスタートしたカメラマンが映像の分野で重宝がられ、映像からスタートしたカメラマンの領域だったところを侵食しているようです。
なぜ、写真出身のカメラマンが動画で重宝されているのか?
今、映像機材は画期的な進歩を遂げています。あらゆる電子機器がそうであるように、どんどん高性能化しつつ、感覚的操作性に優れ、軽く小さくなっています。昔と違って、映像機材を扱えること自体にアドバンテージがなくなってきていることは確かです。
写真にも昔、そういう過渡期がありました。それまでは一部の技術者しか扱えなかったものが、技術の進歩により、それほどの訓練や勉強をしなくても撮れるようになったのです。
その頃から、特殊な撮影でもない限り、写せること自体にはほとんど価値がなくなりました。そして、写真を撮る者は「何を撮るか(被写体)」、「どう撮るか(見せ方)」、この二つをより高い次元で求められ、競い合うことになっていきました。
映像機材は、写真機に比べれば格段に複雑です。だから、映像機材の変革期は写真機のそれから何年も待たなければなりませんでした。
そして、その変革期がここ数年、映像の世界にもやってきているようなのです。
もちろん、長編映画のようなフィルムを扱うムービー撮影や、その道に精通してこそ撮れる映像の分野は多々あります。それらはどれも、外部の人が見よう見まねで簡単に出来るものではありません。
ただ、比較的短時間の映像の分野では、雰囲気とか、世界観とか、切り口とか、その人らしさとかを撮る側に求める仕事も増えています。これこそまさしく写真からスタートした人が得意とするものなのだと思うのです。
冒頭の広告系フォトグラファーは、こうも言っていました。「いや~、自分も動画は全然やったことなかったんですよ。だから、(動画の)仕事の依頼が来ちゃったときは、どうしようって思いました(笑)。でもね、動画のスタジオには、すごく詳しい人がいるんですよ。その人たちがほとんどサポートしてくれたので、自分は教えられたままカメラを動かすだけでしたねー。まあ、何とかなるもんですよ。」
専門的な雑誌では、「写真家もこれからは動画をやるべき」とうたい、動画機材の取り扱い方を説明する記事をよく目にします。これに乗っかって今後ますます増えるであろう動画の仕事を狙って、今からしっかり勉強をしておくのも良いと思います。
でも、彼のように、仕事が来てから慌てて何とかなってしまう人も決して少なくないと思います。そもそも彼に動画の仕事が来たのは、彼の動画の技術に期待してではなく、スチール(写真)での彼の世界観を映像でも求められたからこそです。
やがてくるであろう動画の仕事に備え、動画の勉強をしておくも良し。需要があるのなら、どーんと構えて自分だけの世界観(ビジュアル)を究めていくのも有りなのかもしれません。