明けましておめでとうございます。
今年、最初のブログだし、何かそれらしいことを書かなければと思ったら、何も書けないまま今日になってしまいました。こうなったら、開き直って(お酒の勢いも少し借りて…)好き勝手に書いちゃいます。
以前、知り合いの大学生に「教育の概念って何だかわかります?」と聞かれたことがあります。なんでも、講師の先生に出された宿題だそうで、次週その答えを発表しなければいけないとのことでした。
僕は最終学歴が高卒なので、専門的なことは正直わかりません。だから、その時思いついたままのことを答えました。
「国をより豊かにするために、その時代の産業に必要と考えられる人の育成と序列付け。」
僕が子供のころは、後に「知識偏重」と批判される詰め込み型の教育が当たり前でした。その後、創造力が大事だと言われるようになり、それまでの教育方針からより個を尊重した心にゆとりのある教育へと変わっていったと思います。
もっとも、僕はかなり早い時期から義務教育をドロップアウトしていたので、何がどう変わろうと関係ありませんでしたが。(別にグレてたワケではありません。勉強しなかっただけです。)
ただ、こんな僕だからかもしれませんが、子供のころから強く思うことがあります。半世紀生きてきましたが、その考えは弱まるどころか、ますます確信を持って言えることになっています。
それは、その時代の教育システムにそぐわなかったから、低い序列に甘んじたまま人生を送らなければならないなんて、まっぴらごめんだってことです。自己表現に目覚めてしまった人は、貧乏を受け入れながら、超ハイリスクの道をあてもなく歩いていかなければならないなんて、誰が決めた!と思うのです。
もちろん、小さい頃から遊びたい気持ちを抑え、勉強や他の何かに取り組んできた人の努力を批判するつもりはありません。その結果、社会の中で序列が上になれたことは、間違いなくその社会においても個人においても正しい結果です。
僕は、学校の勉強も好きではなく、仕事も嫌いで、カメラマンなら楽そうだしカッコ良さげだから、なんて人を肯定するつもりはありません。実際、楽そうに見せることは仕事上大切ですが、楽な仕事ではありません。もちろん、楽しめるとは思いますが。
僕の勝手な想像ですが、芸術などの感性を必要とする分野の学校のほとんどで、教育の限界が存在していると思います。一人一人の先生はとても立派な方々ばかりですし、生徒のことを想う情熱は頭が下がる思いです。
ただ、学校というシステムである以上、その限界を受け入れざるを得ない中で、生徒と接していかなければならない。
だからこそ。
営利目的の企業として顧客のサービスを第一に考えつつ、そこで働く人との関係は単なる雇用関係を超え、人生のパートナーであり、いずれは踏み台として巣立っていく場所であり、やがては心の中の実家のような存在となる場所。
今、盛んに「資本主義の終焉」という言葉を聞きます。新しい「会社」という組織がどうあるべきかが問われています。
大げさと言われるかもしれませんが、お正月に免じてお許しください。
僕のいるこのスタジオは、営利を追求しながらも、地域社会と共存しつつ、社会に貢献できる人を創る道場のような場所として、今年ますますその理念を極めていこうと考えています。
みんな、幸せになろうぜ!それぞれが望む最高の形で!
飲みすぎました。すみません。
今年も、どうぞよろしくお願い致します。