答えがないからオモシロい

 昔のアクション系ドラマや映画には、「秘伝の極意書」なるものが話のキーアイテムとしてよく出てきました。その極意書さえ読めば、たちまち武道や剣術が強くなれるから、めったやたらに人には見せないシロモノという扱いです。

 

 

 現実には、そんなものがあるわけありません。ゲームじゃあるまいし、武術や、芸術や、人生や、道を極めていくようなものに明快な攻略本などはないのです。

 

 世の中には、やってみなければわからないこともあれば、やってみてもわからないこともあります。続けてみて初めてわかることもあれば、続けてみてもわからないこともあるのですから。

 

 僕の個人的な考えでしかないかもしれませんが、アーティストの「自己表現」も、感性系技術職も、その術(すべ)を知る原理は同じです。そのほとんどは自分自身で日々の中からつかみ取っていくものであって、鳥のひなのように口を開けていれば誰かに与えてもらえるようなものではありません。

 

 だから、どこかで専門的な教育を受けることなくつかめる方もいれば、下積み的な立場である程度の期間を過ごす中で学び取っていく方もいるわけです。アシスタントを数年頑張っていたら、ある日突然師匠に呼ばれ、「今までよくやった」と言われて“秘伝の書”を見せてもらった、なんてことはないのです。

 

 

 

 

 学校の試験のように正解が必ずあるものや、やるべきことが明確なアルバイト、何度死んでもリプレイすればそのうち達成感の得られるゲーム、苦手な人とは距離を置くことができる環境、常に理解のある親、……。

 

 明治よりも昭和、昭和よりも平成の今、子供が受けるストレスや苦労は確実に減ってきました。そうして生きていくことが楽になった分、デリケートで繊細な若い方が増えたのかもしれません。

 

 ブラック企業によって心に傷や病を抱えるようになってしまうことが社会問題になっている今、親や友人に「務めた先がブラックだった」と言えば、自分の逃げ帰る場所を作ることは容易に可能です。でも、それを理由に仕事を転々としていては、いつまでも自分に自信が持てません。

 

 今では誰もが認めるおっさんの僕も、若い頃はこの世の中の矛盾が嫌いでした。でも、おっさんが今思うのは、矛盾だと思っていたことの多くが、自分が青く甘かったあまりに表面しか見えていなかっただけのことだったということです。

 

 

 

 

 その意味で、結果的には自分が納得できる答がすぐに得られるとは限らない現実の世界で、自分自身を実現するには、それなりの勇気や覚悟が必要です。自分を卑下する必要は絶対にありませんし、独りで思い詰めるべきでもありませんが、自分の視野を広くすることで理解できる問題は結構あるものです。

 

 いっそのこと、攻略本が無いから面白いって考えるようにするのはどうでしょう? 理解できないからワクワクする。その気持ちと行動の中で、自分自身を構築していくことこそが、自分を実現するために大切なことではないかと思います。

 

 

 Kちゃんから、最近新入社員ネタが続いているから、違うものをとリクエストされていました。確かにそうなので、それを意識して書きだしたのですが、結局今日もこうなってしまいました。

 

 自分でも先がわからないから、楽しんでいます。

 

 楽しいから、お後もよろしいようです。きっと。