僕は、仕事に限らず物事のほとんどは、気の持ちようで何とでもなると考えるタイプの人間です。といって、だから皆さんもこうあるべき的精神論を語るつもりはありません。
そもそも、他人に「あなたも、そうするべき。」と言われたって、やれないものはやれません。自分自身ですら「自分は、こうしよう。」と考えてみたところで、そう簡単にできるものではないのですから。
僕の場合は、たまたまある経験がきっかけで、そう考えるようになりました。
30年以上も昔の話で恐縮ですが、当時僕は1年程いた営業写真館をブッチし、都内にあったプロ向けの現像所に勤めていました。営業写真館は(当時の自分としては)あまりにも忙しく、何か自分の中の大切なものが失われていくような気がして、ある朝唐突に行くのをやめ、そのままトンヅラしました。
写真館に比べプロラボ(現像所)では、定時出社の定時上がりが普通だったので、この新しい職場は僕にとって夢のような環境でした。もちろん、それを楽しまない手はないので、自分の中の大切なものはひとまず置いておいて毎夜飲んだり遊んだりしていました。
プロラボに入社して1年が過ぎたある日の夕方、「今日はどこで遊ぼうか」と考えていた僕に、課の上司が声を掛けてきました。「田辺君、終業間もないところ申し訳ないんだけど、急ぎの現像が入ってしまってね。悪いけど1時間残業して、これ、やってくれないかな?」
僕はその瞬間、イラっとしました。あと少しで帰れると思っていたのに、なんで残らなきゃいけないんだ! しかも、よりによってなんでこのオレが!
そう思った次の瞬間、「あれ?」何かおかしくないかと自分の矛盾に気付きます。つい、1年前までは、朝8時から夜8時までが当たり前の職場に居たのに、いつの間にか9時5時の職場で1時間の残業を頼まれただけでムカつく自分になっていたことにです。
こうして僕は、自分の気の持ち方次第で、感情はどうにでもなることを知りました。世の中的に大したことではありませんが、自分的には悟りの境地に達したような解釈上の大事件でした。
その後、六本木にあった撮影スタジオにアシスタントとして入りました。時代がバブルだったこともあり、広告は元気。スマホもネットも無かった時代だったので雑誌も元気。スタジオはどこも忙しく、休日は月に2,3日あればいいほう、サービス残業を除いても、月の残業時間は100時間超えが当たり前という環境でした。
以前のヘタレな僕なら、すぐにへこたれて、ブッチしていたと思います。それを辞めずにやり通したのは、自分の気の持ちよう次第で自分の受け取り方は何とでもなる、ということをわかっていたことが大きかったと思います。
もちろん、これらのことは僕のように人や勤め先への迷惑をかえりみず、突然辞めたり逃げたりできる超無責任な人間にこそ、聞いて頂きたい考え方です。真面目で責任感の強い方におススメするものではありません。
ちなみに、あれから30年。僕の気の持ちようもかなりのバージョンアップを重ねてきました。
先日、僕の家の洗濯機の横に、洗濯カゴとは別に小さなカゴが置かれていました。奥さんに聞くと「汚れた雑巾入れ。他の洗濯物と一緒にしたくないから。」とのことでした。
そして数日後、その小さなカゴの中に僕の靴下が入っているのを見つけても、平気でいられたのは超絶進化した「気の持ちよう」のおかげです。
足が臭いのか、オヤジ臭か、それらが混ざったものなのか。僕にはわかりませんが、お後がよろ臭ございます。