僕の知り合いに、歌が天才的にうまい人がいます。何度か生歌を聞かせてもらいましたが、発する歌詞の一字一句に情感が込められながら紡がれる歌声は、普通の人が練習して上手くなるとかというレベルではない気がします。
ボーカリストとしてその業界でも有名な彼女は、誰もが知るアーティストのレコーディングに呼ばれたり、アイドルの仮歌やボイストレーナーとしても引っ張りだこ。そんな常人離れした才能の持ち主である彼女は、日常生活も超個性的です。
彼女と僕はただの飲み友達なのですが、なぜか一回り以上も年上の僕を「くん」付けで呼びます。そんな彼女にある日言われた言葉が、意味もよくわからないまま頭から離れません。
僕:「〇〇ちゃんって、すごいよね~。ミュージシャンとして成功したいって人はいっぱいいるけど、その業界関係者の人達から一目置かれた存在って、稀有だよねー。本当すごいよ。」
〇〇ちゃん:「いやいや。私なんか大したことないっす。努力とか、まったく何にーもしてないし。」
僕:「またまたまた。だって、今どきどこの世界に、黙っていても仕事が向こうからやって来るなんて話があるの?努力してないなら、なお更すごいよ。才能だけで、仕事の依頼が絶えないって、本当すごい。」
〇〇ちゃん:「私に言わせれば、田辺くんのほうがすごいと思う。人として出来てる。私は、不完全。どうやっても普通に仕事できないし。それができている田辺くんのほうが、私よりすごいよ。」
そう言われたときは、飲みの席でもあったので〇〇ちゃん何言ってんだろう?と気にもとめずに流していました。ただ、謙遜してみせているにしては、本心から言っている感じがして、その言葉はよく噛み砕けないまま、ずーと僕の頭に残っていました。
そして、今日(2017年6月20日)。現代美術で世界的に有名な、村上隆さんのFaceBookの投稿を見て、〇〇ちゃんと同じこと言ってる!と思ったのです。以下はその村上さんの投稿のコピペ。
『クリエイターって、そういうもんだと思うんやけども、まぁ、籠って悶々として、嫌な嫌な時間をたくさん過ごして、自暴自棄になって、で、なんか、希望が見えて、ああ、やっと終わった、となって。
しかし、また、次やらんといけなくて、御籠もりから抜けれなくて、辛い辛い、みたいな。
で、発表して、人に賞賛されたからと言って、辛い気持ちが晴れるわけでもなく、なんか騙しちゃった様な後ろめたい気持ちになって、まぁ、それでもこっちとしてはベストやったから、許してもらおう、とか、逡巡して。
貶されたら貶されたで腹たってどうせわかってもらえんわ!お前らがアホや!とかワヤになって。
まあ、一般人になれんかった、者やから仕方がないんだが、辛いっすね。』https://www.facebook.com/takashi.murakami.142?fref=ts
この際、クリエーターとかアーティストの定義は置いておきます。注目すべきは、村上さんも、僕の知り合いも、一般人にはなれなかったと言っている点です。
人生の一時期クリエーターやアーティストに憧れ、それを追いかけたものの結局それをやめた多くの方が、一般人的価値観の中で生きています。僕もその一人なのかもしれません。
それなのに、当のクリエーター達は、一般人には“なれなかった”という捉え方をしている。
そもそも、一般人的な価値観の中では生きられないから、その道を究めるしか他になかったのか?それとも、その道を極めることを何よりも優先しているうちに、一般的な価値観を必要としないパーソナリティーがその人の中で確立してしまったのか?
答えは前者か後者か、僕にはわかりません。
ただ、一つ言えるのは、プロフェッショナルならいざ知らず、クリエーターやアーティストを目指すのであれば、一般的な価値観に縛られていてはダメだということです。それは、例えば「土日祝日は仕事をしたくない」とか、「仕事とプライベートはしっかり分けたい」とか「月末の給与やボーナスが楽しみ」とか、「彼女(彼氏)との時間を何よりも大切にしたい」などなどなど。
「WIN-WIN」という言葉をよく耳にします。残念ながら、クリエーターの精神的なエネルギーの注ぎ口は「二兎を追う者は一兎をも得ず」からスタートするべきだということは間違いないと思うのです。