あれはまだ、フィルムの頃の話です。
秋、深まる季節、友人数人で東京の奥多摩にある秋川渓谷に行きました。何の計画もない行き当たりばったりなドライブの旅です。
途中で弁当を買い、渓谷の適当な場所で食べようということになり、コンビニに寄った後、橋の下のひらけた河原を見つけて、車から降りました。そして、みんなが食べ終わるころ、誰かが焚火をしようと言い出しマキ探しが始まりました。
僕はといえば火起こしを買って出たものの、新聞紙などの着火材料がなかったため、周辺で何か使えそうなものを探しました。と、いっても、労することなく、錆びた空き缶に都合よく枯れ草が大量に挿さっていたので、その枯れ草を焚き付けにして火を起こしました。
河原で集めたマキたちは水分を多く含むせいか、焚火からは白い煙が立ち上ります。その横でみんなで並んで写真を撮り、帰路につきました。
翌日、その時に撮ったフィルムのプリント現像が上がり、みんなで写真を見ていると、誰かが不思議なことに気付きました。それは、焚火の横でみんなが並んで写った写真でした。
見てみると、焚火から立ち昇る白い煙の中が、幼稚園児くらいの小さな女の子の形に、くっきりと向こう側が抜けているのです。まるで、僕らと一緒に並んで写っているかのように。
確かに、女の子の形は鳥肌が立つほどリアルではありました。でも、その時のメンバーで唯一写真関係の仕事をしている僕としては、偶然その瞬間の煙がそう見えているだけだと思いました。
ただ、みんなはあの場所で何かあったに違いないと騒ぎ出す始末です。そこで、一番冷静な僕が、昨日の河原の場所を地図で調べ、その村の駐在所に電話をしてみることにしました。
「あの~、お忙しいところすみません。ちょっとお聞きしたいのですが。」
「はい、どうぞー。」
駐在所のお巡りさんはとても親切な方でした。
「実は、昨日○○橋の近くの河原に行ったのですが、あそこで人が亡くなるような事故などはありませんでしたか?」
「あー、私は去年赴任してきたので直接は知らないのですが、4年前に5歳くらいの女の子が川で溺れて亡くなられたと聞いてますよ。今も毎年春になると、ご両親がお花を手向けに来られているようです。」
こちらから駐在さんに写真のことは何も言っていませんでした。もちろん、幼稚園児くらいの女の子の煙のことも。
あの時、僕が火を起こすのに使った空き缶の枯れ草は、たぶん、その春にご両親が女の子のために置いたものだったのです。
一般の方よりは写真に詳しいつもりの僕に言わせて頂けるなら、世の中に出回っている「心霊写真」というものの多くは、インチキか勘違いによるものです。ただ、だからといってこの世の中に「心霊写真」など無いと言うつもりはありません。
次の週末、僕らは改めて、みんなで橋の下の河原に行き、新しいお花を手向け、手を合わせてきました。