あの時、本番前のテスト撮影で見た「ポラ(インスタントフィルムのこと)」は、「さすが!!!!」の一言に尽きる程、超絶カッコいいものでした。繊細かつ大胆なライティングは、まばゆいほどのオーラに包まれた女優さんを包み込み、張りつめた静寂の中テンポの良いシャッター音のみが刻まれていました。
かれこれ30年くらい前。僕がスタジオマンだった頃の話です。その日、僕は当時誰もが知る雑誌の表紙の撮影にスタジオアシスタントとして入っていました。
カメラマンは、売れに売れているフォトグラファー。モデルはこれまた当時人気絶頂の女優さん。そしてヘアメイクさんもスタイリストさんも、業界内で知らない人がいない程有名な方々でした。
その撮影の雑誌が店頭に並ぶことを楽しみにしていた僕は、後日書店に並んだ雑誌を見て目を疑います。
あれだけカッコいい撮影だったはずなのに、印刷物となった表紙は中途半端なポーズと間の抜けた表情、あの時の光り輝いていた女優さんのイメージとはかけ離れた表紙にガッカリしたのです。と、同時に「何でこれなの?」って疑問が頭をよぎりまくりました。
その後、あの時のフォトグラファーのロケアシスタントに行く機会がありました。バカ正直な僕は、なんの工夫もなくど真ん中の直球で疑問をぶつけました。
「あの時の(表紙の)撮影、すごいカッコいいカットがいっぱいあったと思うんですけど、なんであれになったんですか?」
フォトグラファーさんは、ともすれば失礼な僕の質問に意外なほど正直に答えてくれました。
「あれはね、メイクの○○さんとかスタイルストの□□さんが色々言ってくるし、あの人たちはオレがアシスタントの頃からオレの師匠と仕事していた人達だから、あの人たちの中ではオレはいつまで経っても頼りないヤツなんだね。それに編集の△△さんは△△さんでコダワリ持っているし、何より(女優さんの)事務所とかマネージャーさんの意向が強くてね、結局みんなの意見を総合した結果がアレだったんだよね。」
僕にはそう話す彼が、半ばあきらめ口調で自分に言い聞かているように見えました。
でも、当時の僕には意味のわからない話でした。だって、その道のプロがみんなで意見出し合ったのだから当然最高のものが出来ると信じ込んでいましたから。
もちろん、表紙のクオリティは、あくまでも当時の僕の主観によるものですから、セレクトされたカットこそ表紙として完璧だったのかもしれません。
それでも、この時の個人的な体験は、作品の方向性を指し示し仕上がりに責任を負うディレクターという立場の人がいかに重要な存在なのかを教えてくれた貴重な体験だったのです。