ストレス社会に生きるすべてのビジネスパーソンへ
不足しがちな「自分勝手」は、「個人勝手」で上手に補充。今、アメリカ全土を人に何か言われる筋合いの無い身勝手「個人勝手」が席巻中!!
って、何かのキャッチコピー風に言ってみました。
昔、時はバブルのころ、勝新太郎さんという俳優が、ハワイの空港で下着の中に隠していたマリファナを見つけられ、現行犯逮捕されてしまいました。で、その釈明記者会見で、彼はこう言ったのです。
「違法薬物が勝手にパンツの中に入っていた。もう一生パンツをはかないようにする」
もちろん、そんなふざけた答えに勝さんを非難する声は上がりました。それでも、彼は引退もしませんでしたし、社会的な地位を失うこともありませんでした。多くの人が「まったく、しょうがねえな勝新は。」って、呆れてましたけど。
このエピソード、今となっては勝さんが「破天荒な大物」だったということで語られがちです。でも、僕は当時の時代や空気に、そういったやんちゃなワガママを受け入れる土壌があったということも忘れるべきではないと思うのです。
最近、テレビや新聞では毎日のように誰かが謝っています。確かに、企業や政治家などの公人が社会に迷惑を掛けたのなら謝罪をするのは当然のことです。
でも、個人的モラルまでもがその標的にされ、知る権利を盾に衆目にさらされ、地位はおろかその人の生活基盤までも奪い去ってしまうことが正義の名のもとに行われているのはいかがなものかと思います。
れっきとした犯罪の釈明会見をエンタテインメントにしても受け入れられた時代と、プライベートな問題ですら公の場で謝罪を求められてしまう時代の違いは、マスメディア側の問題もさることながら、その受け手である僕らの問題でもある気がしてならないのです。
そんなことを頭の遠くのイメージの池に投げ込んで考えていたら、先週、こんな場面に出くわしました。それは、普段電車に乗り慣れない僕が、痴漢に疑われるのが怖くて両手で吊革につかまっていた時のことです。
途中駅に停車中、ホームのほうから男性の「謝れよ!」と怒鳴る声が聞こえてきました。車内はそこそこ混んでいたので、僕にはホームで何が起きているのかはわかりませんでした。
ただ、そのあとすぐに会社員風の中年男性が車内に早足で乗り込んできました。その男性、ちょっと興奮気味に僕の隣に来るとしきりに外を気にしていました。
すると車内を覗きながらホームを歩いていた別の男性がその中年男性を見つけ、窓越しにさっきの声で叫び出しました。「おい!謝れよ!謝れよ!聞こえてるんだろ?謝れよ!」停車中の電車はドアが開けっぱなしのため、その声が車内まで聞こえてきます。
見るからに大人しそうな僕の隣の男性は、耳を真っ赤にしながら早くこの時が過ぎてくれることを願い、必死に自分を無にしている様子。結局、ホームの男性は、その声が発車のベルにかき消されるまで「謝れよ! 」を連呼していました。
二人に何があったのか、僕にはわかりません。隣の男性も、ホームの男性も、ごく普通のスーツを着た会社員風だったので、何か因縁をつけられたわけではなさそうです。
たぶん、(勝手な想像ではありますが)シチュエーション的には肩や荷物がぶつかったとか、悪気のない些細なことが原因だったのだと思います。となりの男性もこんな面倒なことになる前に一言「すみません」と言えばよかったのかもしれません。
でも、あそこまで執拗に謝罪を求める心理って、ちょっと尋常ではありません。まるで、人の弱みを握ったことで俄然強気になったみたい。
みんな頑張っているんだろうなと思いました。足手まといにならないように。和を崩さないように。
でも、本当は、そうやってちゃんとやることに疲れているんだとも思いました。だから、ちゃんとやらない人を執拗に責めたくなってしまう。
勝新太郎さんの生きた時代と比べれば、今は格段に便利な世の中です。でも、その当時の日本人は、今より余裕があったから、それぞれ「好き勝手」が出来ていた気がします。
それは、今より景気が良かったからかもしれないし、今ほど携帯電話やITによってスケジュールやノルマが細かく管理されていなかったからかもしれません。でも、そんなことはどうでもいいです。今さら不便だった時代に戻りたくもありませんし。
ストレス社会に生きるすべての方へ。普段から不足しがちな「自分勝手」は、「個人勝手」で上手に補充しようじゃありませんか。