まだ、フィルム全盛だったころの話です。ある日、ファッション系カタログを手掛けるプロダクションさんから、折り入って相談があるから会社に来て欲しいと呼ばれたことがありました。
相談とは、経費(制作費)を抑えるため、今後はフリーのカメラマンを頼まず、シャッターは社内の者に押させたい。そこで、外苑スタジオにシャッター以外の全てのサポートをお願いしたいということでした。
僕は、ワクワクするような面白い話だったので、お引き受けすることにしました。ただ、「外苑スタジオのスタジオさんなら、優秀だからそのくらい出来るでしょ?」と、言われた時は、カメラマンで優秀なのとスタジオマンで優秀なのは全然違うんだけどなーと思い、先行きに一抹の不安を感じたのも確かです。
それでも、完全サポート体制での撮影はスタート、当初は僕が窓口となり、カメラの選定、フィルムの管理や取り扱い方、撮影から撮影後の処理など様々な相談に乗りながら入稿までをお手伝いさせて頂きました。その後、一連の流れがそれなりに出来るようになってくると、撮影のたびにご担当の方が海外の雑誌の切り抜きをお持ちになり、これと同じように撮りたいとのリクエストを頂くようになりました。
僕は、これはスタジオスタッフの勉強になるに違いないと思い、先方との窓口をスタッフの誰かに任せようと考えました。そこで、僕が白羽の矢を立てたのはスタッフの中でも一番、明るく元気で物おじせずガッツと責任感のある人でした。
当時、経験値ならそのスタッフよりも豊富な先輩スタッフが何人かいました。それでも、僕がそのスタッフに任せることにしたのは、彼なら仮に失敗をしたとしても、それから逃げることなく先方に対し真摯に対応し、その失敗を栄養源として急速に仕事を覚えていくだろうと踏んだからです。
実際、そのスタッフに引き継いでから何度か、事前のイメージとは違うフィルムの上がりのために、僕は先方に呼ばれ説明や謝罪を求められることがありました。ただ、回を追うごとにそれも減り、半年後には、そのスタッフはプロダクションの皆さんから全幅の信頼を得るようになっていました。
その後、そのスタッフはスタジオのチーフとしてスタッフみんなを引っ張り、スタジオを出た後はフォトグラファーアシスタントを経てフォトグラファーデビュー。すぐに大活躍、それから10年ほど経つ今も、忙しくも充実した日々を送っています。
あの時のプロダクションの依頼に応えたスタッフの経験が、彼のその後を決定づけたといえば大げさかもしれません。それでも、制作者側のイメージやニュアンスやニーズを直接伝えられ、言葉や仕事のキャッチボールの中で、相手が欲しているものを探り当てる作業は、通常のスタジオマンには経験できないことだったのは間違いありません。
ちなみにあの時、僕は彼に賭けたのではありません。
その勝算に自信があったから彼を選んだのです。
明るく元気で物おじせず、ガッツがあふれ、結果に対する責任感のある人だったからってだけの話なのです。