高校生の頃、その驚異的な活躍により日本のエースとして将来を嘱望されていた元「天才」サッカー選手、平山相太さん。先日、「消えた天才」という番組(TBS)に出演されていました。
小学校2年からサッカーを始め、地元の中学を経てサッカーの強豪校として全国的にも名高い高校へ進学、並外れた体格とセンスを武器に高校1年から主力として活躍。全国高校サッカー選手権では歴代最多ゴールを記録、高校生で唯一オリンピックのアジア最終予選日本代表に選出されました。
そんな「怪物」・「天才」の去就は、大いに注目を集めましたが、その後はオランダ1部リーグのクラブを1年ほどでクビとなり、Jリーグでプレー、日本代表に選出されもしましたが出場は4試合ほど。周囲の期待ほどの活躍はできないまま32歳の今年、現役を引退しました。
番組の中で、期待に応えられなかった理由を平山さんは「強い気持ち、それが自分には足りなかった。」と振り返り、あるエピソードを語ります。
それは平山さんが19歳、ユース日本代表合宿の時のこと。練習でも縦横無尽にゴールを決める平山さんをチームメイトが絶賛する中、一人「今のゴールは俺のパスで決まったようなもの。平山くん、今までこんないいパスもらったことないでしょ。」と言ってのける選手がいたそうです。1歳年下のそれまで名前も知らない選手だったそうですが、平山さんはその彼に自分には無い「強い気持ち」を感じたそうです。
その後オランダに渡った平山さんは、所属したクラブから細かい戦術のコミュニケートのために、オランダ語をマスターすることを求められます。しかし、それがうまく出来ず、さじを投げていた結果、1年で平山さんはクラブから戦力外通告を受け帰国。その後、入れ替わるようにユース日本代表合宿で会った1歳年下の彼がオランダに渡り、クラブチームに移籍します。その入団記者会見で「私はホンダ。車メーカーのHONDAとは違う本田です。」とオランダ語で堂々と話す彼の姿を見て、平山さんは「自分はオランダに行くことしか考えていなかった。彼は3歩先まで考えていた。」と、自分との大きな違いに気付いたそうです。
フォトグラファー(写真家・カメラマン)として活躍するようになる人もまったく一緒です。やがて成る人は先の先まで考え、今何をすべきかを知り、そのために必要な努力をしています。いずれ消えていく人だけが、一流の学校にいくだけで、人気の企業に入社するだけで、有名なカメラマンのアシスタントになるだけで、海外に住むだけで満足してしまい、それより先に進むために今すべき努力を自分に課すことができません。
天才と言われた人ですら、強い気持ちと先々まで考え努力する姿勢無くして、その才能をいかんなく発揮することができないのです。ちょっと名の知れたスタジオに入って、そこで一応人並みに仕事しているくらいで、自分に満足するような器の小ささでは全く話になりません。
そこのあなた、やることあるのと違いますか?