「…先輩の○○さんのスタジオ卒業が決まった。これからは自分たち世代がしっかりしなければならない。先輩に代わり、このスタジオを引っ張っていくため、これまで以上に頑張っていこうと思う。いや、頑張る!」
スタッフが日報の感想欄に書いていました。
この日報の書き手、日頃からマジメに頑張っているスタッフです。たぶん、よっぽど書くことに困って何かそれらしいことを書いたのでしょう。だって、本気でこんなことを考えていたとしたら、ただの残念なヤツですから。
って、なぜ、残念なのか?
これを残念だと考えることが、僕のいるこのスタジオが厳しいと言われる理由です。
ただし、普通の方にはすごくわかりにくい話なので、それがウワサになるときには誰にでもわかりやすい形になって広まるようです。以前、某写真学校の生徒さんから聞いた外苑スタジオの“厳しい”ウワサはこうでした。
- 失敗すると暗室に閉じ込められる
- 新入社員は裏山の頂上に並んで発声練習をさせられる
- 新人はペンキ塗りたての白ホリ(床)でヘッドスライディングさせられる
- とにかく上司や先輩は絶対で、軍隊みたいなところ
などなど。
では、冒頭のコメントが残念な理由はなにか?
もし、このコメントをスタッフが本気で考えているのなら、僕はそのスタッフに質問するはずです。
「先輩が卒業するから自分たちがしっかりやるって、じゃー今まではどうしていたの?」
「自分が本気を出すタイミングを先輩が辞めるタイミングにリンクさせる必要ってあるの?」
「そもそもなぜ、ただ単に自分より入社が早かっただけの人間に、自分の大事な人生を合わせる必要があるの?」
「フォトグラファーとしてキャリアを積まれている方ならまだしも、まだフォトグラファーになれるかどうかもわからない人を先輩ってだけで無条件にリスペクトする理由はなに?」
料理人だろうと、美容師さんだろうと、どんな業界でもプロフェッショナルとして生きていけるかどうかは自分次第です。いくら感傷的になっても、他力本願な人がやっていけるほど甘い世界ではないのです。
「そう言われてもどうすればいいのかわからない」と言って落ち込んだところで、自分が変わらなければ何も変わりません。その結果、どの業界でもひっそり消えていく人は未だに後を絶ちません。
僕のいるスタジオを経てフォトグラファーとして活躍されている方は大勢います。でも、中には誰にも負けないほど写真と向き合い格闘した結果、自分自身が本当に心からやりたかったことに出会い、本気の矛先を変更した人たちがいます。
使い込むほどいい風合いになる僕愛用の財布は、今は革職人として活躍されている元スタッフのSさんに作って頂いたものです。マンション暮らしの僕はいつか庭付きの家に住むのが夢ですが、自分の庭を持ったあかつきには絶対に庭師として活躍されている元スタッフTちゃんにデザインと管理をお願いするつもりです。
初心貫徹が全てではありません。個人にとって大切なことは、「自分次第」を見い出し、それを勝ち取ることだと思うのです。
だから、僕のいるスタジオでは、スタッフに対して、その「自分次第」って部分を強調して求めています。それが、このスタジオの厳しいと言われるゆえんです。
スタッフを暗室に閉じ込めて「他力本願」が改まるなら、誰も苦労しませんて。