17の夏、バックパックで北海道の礼文島にある小さな集落に行った。一人でテントに泊まるつもりだったけど、ラーメン屋のお婆ちゃんに「危ないからうちに泊まりなさい」と言われ、そのまま2週間お婆ちゃんの家にお世話になった。
三食、部屋付き、風呂付き、昼寝付き。毎朝、漁に出ていた集落の船から昆布を降ろし、天日干しをするために浜に並べる1時間ほどの作業を手伝うだけで、あとは何をしていても良かった。
夜は、その集落にバイトで来ていた大学生や放浪人のお兄さんらとの酒宴。みんな何かに迷い、何かを探している。イーグルスのホテルカリフォルニアが繰り返しかかっていた満天の星空は、毎夜グルグル回っていた。
白昼夢のような2週間はあっという間に過ぎ、礼文最後の夜、僕が「明日、帰ります。」と伝えると、みんなが「よし、港まで見送りに行くぞ。」と言う。翌日、礼文島香深の小さなフェリー乗り場は、そういった島から帰る者たちを見送る人たちで埋め尽くされていた。
何本もの紙テープが船と岸壁をつなぎ、手作りの旗や横断幕が揺れる。見送る人たちはみんな「いってらっしゃーい!」と叫び、船に乗る人たちは涙を流しながら「行ってきまーす」と返している。僕は、そんな感傷的で現実逃避的なやり取りの輪には入らず、一歩引いたところで見ていた。見送ってくれた人たちには、その姿が見えなくなるまで手を振り続けていたけれど。
あれから、36年。見た目ほど中身の変わっていない僕は、相も変わらず何かに迷い、何かを探している。あの頃と違うのは、迷うことや見つからないことに慣れっこになったことぐらい。
この夏、フッと思い立ち、家族を連れて礼文島に行くことにした。グーグルマップで見たら、お婆ちゃんのラーメン屋はすでにないけれど、ホテルカリフォルニアの木彫り民芸品屋はあの時のままにある。
まだ、あの店の奥では、あの頃の僕らのような人たちが集い、酒を飲み交わしているのだろうか。もう、店の主人は代替わりし、あの頃を知る人は誰もいないかもしれない。それでも僕は、今回の旅行で店に立ち寄ることが楽しみで仕方がない。
店に足を踏み入れるとき、僕は見知らぬ主人に言うだろう。「ただいま、戻りました」と。
来月僕は、礼文に帰る。