人との出会いは気の持ちよう

 

 スポーツでも、エンタテインメントでも、科学の分野でも、何かで成功した方のインタビューでよく耳にするフレーズがあります。

 

 「周りの方々に支えられ、ここまでやってこられました。」とか、「人との出会いがなければ、今の自分はなかった」とか。

 

 ひねくれ者の僕は、それって謙遜とか処世術の類だと思っていました。だって、この手のセリフ、処世術でなく本心からだったら羨まし過ぎます。僕もそんな出会いに恵まれてみたいって本気で思ってしまいますから。

 

 

 だから、先日スタジオを卒業するスタッフと飲みに行った時、その彼女も同じようなことを言うのが僕には不思議でした。失礼な話ですが、どう見たって彼女の成功はまだこれからです。それでも、ニコニコしながら「ホント、私、人との出会いに恵まれてきました。」って語るのです。

 

 彼女はスタジオに来る前、あるフォトグラファーのアシスタントをやっていました。その師匠は、彼女が就くにあたりアシスタントの給与は払えないけど、その代わり私の部屋に住んでもいいと言ったのだそうです。で、スタジオに来る前の1年、彼女は師匠と一緒に師匠のワンルームマンションで暮らしていたそうです。

 

 僕は内心、思います。「給与払えないって何?」、「師匠と一緒にワンルームって…?」

 

 しかも、師匠の彼氏が家に遊びに来たときは、遠慮して外で時間をつぶしたり、気苦労ある生活を強いられていたそうです。流石の彼女も、今思えば師匠と同居していた間は体調が良くなかったといいます。

 

 それでも僕の目の前の彼女は、その頃師匠から学べたことが今に生きていると目をキラキラさせながら語るのです。

 

 

 そこまで聞いて、僕は気付きました。

 

 人との出会いって、それに感謝できるか、何とも思わないかは、その人自身の気の持ち方次第だってことに。感謝できないのは、相手が感謝に値しない人だからではなく、そう受け取ることができない自分自身の問題なのだと。

 

 そして冒頭の、成功してインタビューを受ける方々が口にするセリフ。それは、人との出会いに感謝できるほどの人だから、成功が身近な場所にあったのだと思うのです。

 

 考えてみたら、失礼な話です。「僕もそんな出会いに恵まれてみたい」って、てめえが見い出せなかっただけなのに、この半世紀ず~っと他人のせいにしてきたなんて。

 

 やっと気付けた恥さらし人生、衝撃の事実。

 

 僕はここだけの秘密にしておくことにしました。