好きなだけじゃダメな理由

 

【好きなこと】

 

 僕は食べることも、料理を作ることも大好きです。

 

 子供が生まれるまでは、「荒木町」に知らない店は無いと言うほど食べ飲み歩いていました。今も旅行が好きですが、その目的はご当地の美味しいものを食べること。観光名所にも寄りますが、それは腹ごなしのため以外の何物でもありません。

 

 また、毎週末、僕は家族のために夕飯を作っていますが、「おいしい」と言わせることに超真剣にこだわっています。料理レシピのサイト「クックパッド」は、もちろんプレミアム会員。家族とはキャンプにも行きますが、キャンプ道具の半分はこだわりの料理道具です。

 

 

 でも、最近気付きました。僕には、料理のセンスも才能も無いということに。

 

 

【センスや才能の強化】

 

 僕は家で料理をする時、最後の塩加減はいつも奥さんにお願いしています。僕は酒好きなため、味濃いめ、塩多めになりがち。だから、塩加減は奥さんに任せたほうがいいと思っていました。

 

 で、先日もいつものようにレシピ通りに作った料理の最後の塩加減を奥さんにお願いしました。すると、うちの奥さん、ひと口味見をした後、おもむろにオイスターソースを入れ、お酢を入れ、軽く塩・胡椒して、最後にハーブを入れました。で、確認の味見をして一言「よし、まとまった」と。

 

 僕にも、「まとまった」後は素材のそれぞれの味が立ちつつ、全体に方向性が出たことはわかりました。でも、「まとめる」ためには何がどれだけ必要だったのかはさっぱり見当がつきません。別に僕は、料理のプロでもないので大きな問題ではないのですが。

 

 でも、その時悟ったのです。僕には料理の才能がまったく無いということを。

 

 持って生まれた天賦の才はもちろんありません。でも、これだけ食べることも作ることも好きな僕なので、後天的に伸びても良さそうなセンスくらいあっても良さそうです。それが、僕にはまったく無かったのです。

 

 で、思いました。

 

 後に才能があるとかセンスがいいと言われるようになる人は、仕組みのわからない結果に出くわした時、それをスルーすることなく、追求しどんなことがあっても自分のものにする。なぜならセンスや才能とは、それを繰り返してこそ強化されていくものだからです。

 

 

 

 

【親友との思い出】

 

 想えば、16の時。僕の親友は、僕が行くたびに狭い独り暮らしのアパートで、その時彼がこだわっている美味しいものを色々振舞ってくれました。ソーセージは塩コショウして油で炒めるとウイスキーのつまみに最高と言って茹でたソーセージと食べ比べたり、コーヒーはインスタントより焙煎豆を挽いたほうが断然美味しいと言っては「違いのわかるコーヒー」と飲み比べたり、、、今考えれば大したことではありません。

 

 でも、僕はいつも彼の追求のご相伴にあずかっていただけ。彼の追求はその後も続き、料理学校に通い有名ホテルのコックとなり、やがて独立。今はオーナーシェフとして超人気店を切り盛りしながら地域貢献、若手の育成と忙しい日々を送っています。

 

 

【好きなだけじゃダメな理由】

 

 写真もまったく一緒です。自分にわからないことを見つけた時、自分が噛み砕けるまでそれに喰らいつく。少なくとも頭の片隅に置いて、常にそのことを気にかける。やがてはそれが、人を「すごい!」とか「さすが」と驚嘆させるセンスや才能やスキルになるのですから。

 

 こうして考えると、勝負の分かれ目はそれが好きかどうかではありません。感性を求められるプロフェッショナルにとって、センスや才能の有無は結果論に過ぎません。今の自分にはわからないことに気付いた時、その欠けたままの状態の自分に居ても立っても居られず、それを満たすためなら何いとうことなく突き進むかどうかにかかっています。

 

 好きなフォトグラファーの作品を眺めながら「こんな風に撮れたらいいな~」って憧れていたって、時間を見つけては写真を撮りまくったって、好きなことを仕事にしたいって本気で考えてみたって、僕の料理と一緒。話になりませんぜ、アニキ。